不妊治療年表

結婚したらすぐに赤ちゃんはやってくると思っていました。
悩んで悩んで、やっと病院へ。
最初は病院に行けば、すぐに赤ちゃんができるだろう…と思っていたけど、
実際はそう簡単にはいきませんでした。
原因はほぼ私にあります。
黄体機能不全や生理不順、そして子宮内膜症。
おそらく1番の原因は子宮内膜症だったと思います。

治療を始めてから娘を出産するまでを年表にし、簡単にまとめました。
良かったら参考にしてくださいね。



卵巣アルコール固定・腹腔鏡手術体験記

1998年
6月 結婚 すぐにでも子どもが欲しく、避妊を解禁。
1999年
5月   不妊検査で夫と共に病院に行く。
     名前を呼ばれて診察室の中に入ると、まずは問診。
     基礎体温を見せると「排卵はありそうだけど、低温期が長く、排卵までが長い。その割には
     高温期が短めなので、あまり良い卵ではない、黄体機能不全かも」と言われる。
     そして内診。超音波で見た限りでは大きな問題はなさそう・・とのこと。
     夫は数、運動率は問題無し。ただ、少し勢いがないということで、抗精子抗体と感染症の
     検査の為に、血液検査をする。

     黄体ホルモン値…9.61(正常値…11以上)
6月   子宮卵管造影検査
     かなり痛い検査と聞いていたけど、生理痛の重い状態…程度の痛みで、我慢できる範囲内
     でした。
     卵管の詰まりもなく、子宮も正常、お腹の癒着もなさそうということで、まずは一安心。
     
     黄体ホルモン値…18.99(正常値…11以上)
7月   チョコレート嚢腫(子宮内膜症)を指摘される。
     CA125(腫瘍マーカー)…98(正常値35以下)
8月   ビタミンEを飲み始める。
9月   初AIH
     採精後2時間以内に病院に行き、待つこと1時間半。
     まず最初に膣の洗浄。水(?)がジャージャー流れる感じで、かなり不快。
     その後『AIH』。時間は2分くらい、中に何か入ってきたのはわかったけど、痛みはほぼなし。。
     そのあと30分くらい横になったままで休憩し、終了。
10月  AIH(2回目)

     黄体ホルモン値…8.12 
12月  AIH(3回目)
2000年
1月   AIH(4回目)
     今回、精子の数は問題ないんだけど、運動率が36%。
     濃縮洗浄して、70%にまでなったからとりあえずは大丈夫らしい。
     実は前回のAIHのときは、数がボーダーラインギリギリ。
     先生いわく、「冬は良くある事」らしい。

     黄体ホルモン値…31.42
     内膜も黄体ホルモン値もバッチリ、夫も問題なしの状態なのにできない。
     となると受精障害か着床障害の可能性もあるらしい。
     そして検査の意味でもIVFを受ける必要があるかもしれない・・とも。
2月   「内膜症から出る化学物質が受精を妨害するから、妊娠が難しい。
     その化学物質を避けるにはIVFしかない。」と言われる。
4月   AIH(5回目)
5月〜7月   治療はお休み…
8月   総合病院に転院する。
     CA125(腫瘍マーカー)…102(正常値35以下)
9月   大学病院に転院
     子宮内膜症の治療を得意とする先生がいる病院で、不妊の1番の原因と思われる、内膜症の
     治療をすることに決める。
10月〜 生理を止めるため、リュープリンと言う注射を、4週に1回お腹に(!)打つ。  
12月  チョコレート嚢腫のアルコール固定をする。(1泊2日入院…体験記はコチラ
2001年
3月   最後の生理を止める注射を打つ。
4月   腹腔鏡手術(2泊3日入院…体験記はコチラ
6月   生理が再開
10月  手術後のゴールデン期間に妊娠の気配がなくあせる。
     不妊仲間に教えてもらった病院に転院する。
     AIH(6回目)
11月  AIH(7回目)
12月  AIH(8回目)
2002年
1月   AIH(9回目)
2月   AIH(10回目)
3月   初IVF&ICSI
4月   陽性反応がでるが、OHHSになり入院(約3週間)
5月   退院。
      その後は順調に育つ。
2003年
1月    予定日の約1週間後に娘を無事出産。

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